夜桜冬花のひとりごと

日常で思ったことを綴ります

「普通」を求める人生

こんにちは、夜桜冬花です。

 

「普通はこうでしょ」とか

「普通ならそんな事しない」とか

よく「普通」という言葉を聞くことがあります。

私はこの「普通」という言葉が嫌いでした。

 

「普通」とは何なのでしょうか。平凡、一般的、凡庸。いろんな言葉で言い換えることのできる言葉です。ある集団の中で大部分の人が持つ性質のこと。もし、普通とは何かと聞かれたら、私はこう答えるでしょう。しかし、私は「普通」とはそれだけではないように感じるのです。

 

最初に述べた「普通」という言葉を用いるセリフ。私は両親からも学校の先生からも、言われた記憶はありません。両親は私のやりたいことを、学びたいことを応援してくれていた(とおもいます)し、学校の先生も私のやりたいことを否定することはありませんでした。両親に反対されたり、経済的にできなかったりする人も世の中にはいる中で、私はとても恵まれていたと思います。しかし、「やりたいこと」を学ぶために入った大学で、勉強していくにつれて、「やりたいこと」であったはずのことは、今の私にとって本当にやりたかったことではないと感じるようになりました。興味を持つものが変わったという考えもありますが、きっとどの大学に行っても私は同じようになっていたと思います。

前回話した通り、私は「それが普通だから」という理由で高校、大学に進学しました。 普通とは、「ある集団の中で大部分の人が持つ性質のこと」 私は先ほどそう述べました。とすると、高校、大学に進学することは「普通」なのでしょうか。日本の高校への進学率は90%を超えていますから、それが普通であるとは言えるでしょう。それでは大学は?日本の大学への進学率はそこまで高くありません。確か50%を少し超えるくらいだったと思います。さて、この場合、大学に進学することは「普通」なのでしょうか。(高校・大学の進学率に関しては、以前耳にした情報を元に書いているので正確な情報ではない場合があります。詳細を知りたい方は自分で調べてみてください。)

私が通っていた高校は、自称かどうかはともかく進学校でした。クラスメイトは皆、どこかの大学に入学するために日々勉強し、センター試験を受けるのはほとんど当たり前で受けない人は推薦で受かった人くらいでした。少なくとも、私が所属していたクラスという小さな集団の中では大学に進学することは「普通」でした。

しかし、周りを見ればそれが普通ではない人たちもいます。高卒で就職したり、専門学校に行ったり、はたまたニートになったり。その人たちから見れば、普通でないのは私たちであり、その人たちにとっての「普通」はその人たち自身なのです。

私には大学進学をしないという選択肢もありました。大学進学をしないと言っても別の道できちんとやっていけるなら、私の両親は反対しなかったと思います。また、仮に両親が反対したとしても、反対を押し切って、別の道に進むこともできました。それをしなかったのは、両親に反抗する勇気がなかったという理由もありますが、それ以上に大学に進学するという私にとっての「普通」を私自身が求めてしまったからだと思います。そして、「普通」を求めてしまった結果、自分の人生に納得できなくなってしまったのです。

 

小説を書いていること、オリジナル曲を作ってYoutubeに投稿していること、このブログを書いていること。私の両親は知りません。小説を書きたいとか、作曲したいとかは言ったことがありますが、まさかもうすでに投稿したことがあるとは思っていないでしょう。私はこの活動のことを一生両親には話せないと思います。これが、私にとっての「普通の人生」ではないから。どんなに頑張っても「普通」を求める人生から離れられないと思います。

もし、私がとんでもなく馬鹿で知性がなくて度胸だけはある人間なら、周囲の言葉に耳も貸さず、「普通」なんて考えず、ただやりたいことだけを楽しむ人生になっていたと思います。しかし、残念ながら「普通」を気にしてしまう人間になってしまった。私はきっとこの先も「普通」を気にしながら生きていきます。それが自分を苦しめると分かっていても。それでもいつか、自分のやりたいことはこれだ、これが私にとっての「普通」なんだと胸を張っていえるようになりたいです。