夜桜冬花のひとりごと

日常で思ったことを綴ります

運命とは?

こんにちは、夜桜冬花です。

 

突然ですが、皆さんは運命を信じますか?

そもそも運命とは何なのでしょうか。運命という言葉は、「運命の出会い」や「運命の人」など、何か特別な出会いに対して使うイメージがあります。しかし、私が問いたいのは出会いだけではなく、天命と言い換えられるようなあらかじめ定められた自分の人生のことです。細かく言葉の定義を見るなら運命と天命は違うのですが、ここでは「あらかじめ定められた自分の人生」として捉えてください。

 

私は運命を信じています。というと、メルヘンチックな妄想をしているような感じがするのですが、私は未来を想像して「いつか運命の人が現れる」と考えているわけではありません。先述の通り、私はあらかじめ自分の人生は決められていると感じるのです。あらかじめ、というのは私が生まれた時かも知れませんし、私が生まれる以前に既に決められていたのかも知れません。ただ、私は今このブログを書いているということすら事前に決められていた行動のように感じるのです。そして、あなたが今このブログを読んでいることもまた、運命であると思うのです。その決められた人生の中で、私にとっての運命の人が現れるタイミングがあるのかも知れません。もしくは現れないかも知れません。(そうなったら少し悲しいですが......) しかしそれは、私が今「この人生はあらかじめ決められている」と考えているから生まれる考えなのであって、メルヘンチックな妄想ではないわけです。 

 

さて、なぜ私はこのように考えるようになったのでしょうか。小さい頃は、それこそメルヘンチックな妄想をして、いつか運命の出会いがあると思っていました。思春期の頃は、運命なんてないとか運命は変えられるとか、そんなことを考えていたように思います。私が運命について今のような考え方をするようになったのは、小説との出会いが関係していると思います。

先日自己紹介でも述べた通り、私は小説を書いています。投稿作品こそ少ないものの、小説自体を書き始めたのは小学生の頃で、その頃は妄想や夢を形にするという目的で書いていました。設定もプロットも何も考えずにただひたすら書き続けるという誰のためでもない自己満足な作品を作り続けました。そしてもちろん、それらの小説は完結することなく、誰の目にも触れることなく、闇の中に消えていきました。それから、設定を書くようになって、プロットという言葉を知るようになって、少し本格的な小説を書くようになりました。これもまた、完結することなく消えていきましたが、その頃文章を書かずに設定やプロットだけを書いたものが今でも残っています。それを度々読み返し、言葉も何も与えられなかった登場人物たちの生き様を覗いてみるのです。

小説の中では一部分しか見えませんが、設定やプロット見ると様々なことが見えてきます。主人公一人をとっても、彼には過去があり、現在があり、未来があるのです。しかし、それは主人公自身が決めた道ではありません。その物語の作者、すなわち、主人公にとっての神が彼の運命を決めているのです。

では、私たちが生きているこの世界の神はどこにいるのでしょう。世界には様々な宗教があり、それぞれに神様がいます。私は宗教を信仰していませんが、神の存在は信じています。先程述べた、ある小説の登場人物にとっての神がいるように、この世界もどこかの小説の一部で、この世界を作った神がいると思うのです。その小説では、私は恐らく主人公ではありません。ヒロインでも悪役でもないと思います。きっと、モブと呼ばれるようなその物語の中では特に何の意味もないような役割を持った人間です。もしくは、モブですらないかも知れません。それでも、モブですらない私たちも確かにこの世界に存在していて、それぞれ決められた人生を歩んでいるのです。

 

長々と話してきましたが、簡単にまとめると「この世界もどこかの小説の一部で、住人である私たちは決められた人生を歩んでいる」ということです。これが真実かもしれませんし、違うかもしれません。これは私の考えなので、「私はそうは思わない」とか「それは違うんじゃない?」とか思う人もいるかもしれません。また、数ヶ月後、数年後の私は違うことを言っているかも知れません。

それでも構わないのです。

もし、「運命」についてあなたが考えたことがないのなら、これを読んであなたが考えるきっかけになれば幸いです。