夜桜冬花のひとりごと

日常で思ったことを綴ります

過去、現在、そして未来

こんにちは、夜桜冬花です。

 

私は最近日本史についての勉強にハマっています。

日本史にハマったきっかけは百人一首について調べてた時でした。高校の時、私は理系で地理選択だったので、日本史を学んだのは中学の時が最後で、百人一首で出てくる人物や出来事が全くと言っていいほど覚えていなくて分からなかったのです。そこで、高校の日本史のテキストを買ってきて、勉強するようになりました。まだ、古代付近で止まっていますが……。いずれ、百人一首や日本史について語るかもしれません。

 

さて、タイトルとは関係ないような話を早速してしまいましたが、タイトルにある「過去・現在・未来」について考えるきっかけは日本史の勉強だったのです。

日本史は日本の「過去」の出来事を学ぶ科目です。日本には昔これがあって、こんなことが起こって、それが原因でこうなって……的な学問です。

私はこの「過去の出来事」について疑問を持ちました。この「過去」は本当に存在しているのか?と。

日本史という学問が、過去の事象を決定づける証拠なんかが見つかったりして、これがあるからこの時期にこれが起こったのだろう、と研究が行われた結果であるのは理解してます。ただ、どんなに決定づける証拠があったとしても「過去」はあやふやなものであると思うのです。

 

前回、私はこの世界は小説の世界なのではないかという話をしました。その話と少し矛盾するところがあるかもしれませんが、これも私の考えだとして読んでください。

この世界が小説の世界だとするなら、確実に起こった出来事は小説の中に書かれた事象だけなのです。小説を書く時、世界についても過去についてある程度のことを決めます。でもそれは、作者が、つまり世界の神がこんな出来事が起こったよ〜と言ってるだけに過ぎないのでは無いでしょうか?小説の中では、小説の前に起こったと神が勝手に言っている「過去」、小説の中で語られる「現在」、そして神ですら知らないかもしれない「未来」があります。つまり、小説の中では確実なものは「現在」だけで、「過去」と「未来」はあやふやなものなのです。

これは、私たちが生きる現在にも言えることだと思います。私たちは「過去」を経験していません。これから起こる「未来」も想像することしかできません。分かっているのは「現在」だけなのです。

もしかしたら、私が生まれた時に世界ができたのかもしれない。(自分が主人公的な考えですね。自惚れすぎです) もしかしたら、自分が死んだ時、世界は終わるのかもしれない。もしかしたら、このブログを読んだ直後に世界はおわって、なくなっているかもしれない。先程、過去と未来の出来事はあやふやであると言いましたが、過去と未来は存在すらあやふやだと思うのです。

 

過去と現在、そして未来。「過去」と「未来」はあやふやなもので、確実なのは「現在」のみです。私がこの文章を書いている間に時間は過ぎていって、次の文章を書いている時にはもう、先程文章を書いていた時間は「過去」になります。私は確かに文章を書いたという記憶がありますが、それがただの記憶なのか、それとも実際に行った「記憶」なのか、今の私には分かりません。分かるのは私が今この一瞬を生きているということだけ。

過去に思いを馳せたり、未来を想像することも楽しいですが、今、この一瞬を、大切に生きていきたいですね。

運命とは?

こんにちは、夜桜冬花です。

 

突然ですが、皆さんは運命を信じますか?

そもそも運命とは何なのでしょうか。運命という言葉は、「運命の出会い」や「運命の人」など、何か特別な出会いに対して使うイメージがあります。しかし、私が問いたいのは出会いだけではなく、天命と言い換えられるようなあらかじめ定められた自分の人生のことです。細かく言葉の定義を見るなら運命と天命は違うのですが、ここでは「あらかじめ定められた自分の人生」として捉えてください。

 

私は運命を信じています。というと、メルヘンチックな妄想をしているような感じがするのですが、私は未来を想像して「いつか運命の人が現れる」と考えているわけではありません。先述の通り、私はあらかじめ自分の人生は決められていると感じるのです。あらかじめ、というのは私が生まれた時かも知れませんし、私が生まれる以前に既に決められていたのかも知れません。ただ、私は今このブログを書いているということすら事前に決められていた行動のように感じるのです。そして、あなたが今このブログを読んでいることもまた、運命であると思うのです。その決められた人生の中で、私にとっての運命の人が現れるタイミングがあるのかも知れません。もしくは現れないかも知れません。(そうなったら少し悲しいですが......) しかしそれは、私が今「この人生はあらかじめ決められている」と考えているから生まれる考えなのであって、メルヘンチックな妄想ではないわけです。 

 

さて、なぜ私はこのように考えるようになったのでしょうか。小さい頃は、それこそメルヘンチックな妄想をして、いつか運命の出会いがあると思っていました。思春期の頃は、運命なんてないとか運命は変えられるとか、そんなことを考えていたように思います。私が運命について今のような考え方をするようになったのは、小説との出会いが関係していると思います。

先日自己紹介でも述べた通り、私は小説を書いています。投稿作品こそ少ないものの、小説自体を書き始めたのは小学生の頃で、その頃は妄想や夢を形にするという目的で書いていました。設定もプロットも何も考えずにただひたすら書き続けるという誰のためでもない自己満足な作品を作り続けました。そしてもちろん、それらの小説は完結することなく、誰の目にも触れることなく、闇の中に消えていきました。それから、設定を書くようになって、プロットという言葉を知るようになって、少し本格的な小説を書くようになりました。これもまた、完結することなく消えていきましたが、その頃文章を書かずに設定やプロットだけを書いたものが今でも残っています。それを度々読み返し、言葉も何も与えられなかった登場人物たちの生き様を覗いてみるのです。

小説の中では一部分しか見えませんが、設定やプロット見ると様々なことが見えてきます。主人公一人をとっても、彼には過去があり、現在があり、未来があるのです。しかし、それは主人公自身が決めた道ではありません。その物語の作者、すなわち、主人公にとっての神が彼の運命を決めているのです。

では、私たちが生きているこの世界の神はどこにいるのでしょう。世界には様々な宗教があり、それぞれに神様がいます。私は宗教を信仰していませんが、神の存在は信じています。先程述べた、ある小説の登場人物にとっての神がいるように、この世界もどこかの小説の一部で、この世界を作った神がいると思うのです。その小説では、私は恐らく主人公ではありません。ヒロインでも悪役でもないと思います。きっと、モブと呼ばれるようなその物語の中では特に何の意味もないような役割を持った人間です。もしくは、モブですらないかも知れません。それでも、モブですらない私たちも確かにこの世界に存在していて、それぞれ決められた人生を歩んでいるのです。

 

長々と話してきましたが、簡単にまとめると「この世界もどこかの小説の一部で、住人である私たちは決められた人生を歩んでいる」ということです。これが真実かもしれませんし、違うかもしれません。これは私の考えなので、「私はそうは思わない」とか「それは違うんじゃない?」とか思う人もいるかもしれません。また、数ヶ月後、数年後の私は違うことを言っているかも知れません。

それでも構わないのです。

もし、「運命」についてあなたが考えたことがないのなら、これを読んであなたが考えるきっかけになれば幸いです。

初めまして

こんにちは、夜桜冬花です。

 

初のブログ投稿なので自己紹介を……。

普段は学生、趣味で小説を書いたり、作曲したりしてます。小説家になろうカクヨムで小説を投稿したり、YouTubeでオリジナル曲を投稿したりしています。と言いつつ、未だに小説家になろうYouTubeも1つしかあげてません。カクヨムに関してはひとつも投稿してません。何ならここ数ヶ月くらいサボりまくってます。

これから増えていく予定ですので、期待しないで待っていてもらえると助かります。

 

さて、自己紹介とはこんなもので良いのでしょうか。

今思えば、小学生や中学生の時、新学年になってクラスが変わる度に自己紹介をしなければならないのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

何を言えばいいのか分からないのです。名前は確定だとしても、クラスはみんな同じですから言う必要は無いですし、よくプロフィール欄で書く性別なんかも言ってしまえば見れば分かりますよね?(そもそも性別を自己紹介で言う人を見たことがない)

あとは、趣味でしょうか?特技を言う場合もありますね。そういったものも困るのです。趣味は何ですか?特技は何ですか?と聞かれて、これです!と自信を持って答えられるようなものがないのです。趣味に関しては、上記に書いたような小説を書いたり作曲したりといった趣味と呼べるようなものができましたが、特技に関しては未だに自信を持って答えられるものはありません。強いてあげるなら、歌かな?とかその程度なのです。周りを見ればできる人達がいて、世界に目を向ければもっとできる人達がいます。その中で自信を持つのはとてもむずかしいものです。

 

そんなこんなで、私は自信を持つことができない人間なのです。小説家になろうYouTubeに一つだけ投稿した作品も、私の中では黒歴史になりつつあります。

世に出せば、評価される。当たり前のことですが、私にとってはとても怖いことなのです。それでも発信したいと考えるから困る……

ということで、このブログを始めたわけです。皆さんに問いかけることはありますが、基本このブログは私が独り言のように考えを書いていくだけです。肯定も否定もいりません。ただ、私の頭の中を少し覗いてみるという気持ちで、読んでいってください。